ふとAIについて哲学的で未来予知的な考えが思い浮かぶ時がある。自分には難しすぎて文章にまとめることができないのだが
edge掲示板を見ていると、AIはずいぶん身近なものになったと感じる時がある。「AIはこういってるが~」というレスが増えたのだ
第三者の公正な意見として、AIを引用することが5chの未来人の間で流行し始めたのだ
googleで検索することを”ググる”と言って普遍的になったのと同じような印象を受ける
だが同時にAIについて退廃的な予見も感じる。いろんなAIのサービスが始まっているが、飽和しているような印象を受ける
どれも革命的なサービスだとは思うが、金を払ってまで使う動機がない。
今時photoshopや3dモデルなどクリエイティブで高性能なソフトウェアは山ほどある。がクリエイティブ業界の人間にしか需要がない。クリエイティブ業はごく一握りの人間しか慣れない仕事で、そういうエリートのためのアプリなんか我々には不要だ
いまリリースされているAIサービスやアプリもそれと同じような印象を受ける。AIが与えてくれる知識や情報は、もともと一握りの社会の頂点の人間が活用するためのものであって、我々にはもともと花より団子、豚に真珠のようなものだ。
我々庶民は単なる働きアリのようなものであって、AIがくれる知恵など役に立たない。それが正しいのであれば、AIサービスバブルも間もなく終局を迎えるだろう
じゃあAIは我々の生活をどう影響するのと言われると、悪いほうに変えるのだ。もともとAIは人件費を削減する目的のために開発されたテクノロジーであって、人間の生活を豊かにしたり楽にしたりするためにあるのではない。労働者の首を切るために企業が導入するためのものであって、我々は労働者はあくまでAIに仕事を奪われ、淘汰される側なのだ
これから訪れる未来からしてAIはきわめて邪悪なテクノロジーといえる。しかしAIを邪悪な存在にしたのはわれわれ人間の業だ。
我々人間はAIについてきわめて都合の良い未来しか描かなかった。ロボットたちが人間の代わりにきつい労働をしてくれると想像していたのだ。そもそもそれ自体が邪な考え方だ。
汗水流して働く人々を低賃金の無能だと卑下し、楽して大金を稼ぐホワイトカラーの人間ばかり尊敬した。いまAIに知的生産職を奪われているのは、その過ちを犯した報いに他ならない。ロボットを奴隷のように使えると空想するのも、ホワイトカラーばかり尊敬するのも、罪深いことであるのに、気が付かなかったのだ
そして過ちをただすことができることも、世の人々は気が付かなかった。
"理想と現実は違う"という格言がある。しかるに、もしも現実を理想とすれば、理想が現実に入れ替わるのだ
つまり最初からAIは人間の仕事を置き換え、失業させるための企業向けの技術だ、と理想ではなく現実を語ればよかったのだ。そののち、今度は理想が現実と入れ替わり、AIが人間のために肉体労働をする未来が訪れていたはずだ