2025年12月17日 日記

死とは何か

最近私も年をとって、体力の衰えを感じる。老衰で死ぬわけでもないが、中年なので突然死んでもおかしくない。別に人生や生きがいなど論じるつもりは毛頭ないが、死というものは少しわかった

近づくほど恐ろしい物

若者や今を時めく偉人たちは死を恐れない勇敢さを持つ。だがどんな人間でも死を目前に迫ると死をめそめそと恐れる

若者も、どんな偉人達でも、死にそうになると死にたくない死にたくないと見苦しい姿をさらすのだ。

つまり死というのは遠いほど怖くないが、近づくほど恐ろしい見た目をしているらしい

ここに至って知見がある。どんな頭脳明晰な偉人でも、死の床が迫ると恐れをなすということだ。これが人の子の境界というものだ

死んでもいいと言えるのは、過酷な生き方をしてきた、神の子の発想という奴だろう

死を目の当たりにできる存在が、蟻である。蟻はロボットのように単調な命令をこなすだけの昆虫だ

だが🤖との違いは、死にそうな危機が訪れると、ものすごい必死に逃げる。ドン引きするほどキモイ逃げ型をするし、めちゃくちゃ噛みついてくる

蟻は知能は極めて低いといわれているが、死の恐怖は見ていてひしひしと感じる。いくら知能が低くても、コイツ命あるなという感じはある

どんな矮小な生き物でさえ、死ぬ恐怖はしっかり叩き込まれているのだ

AI

一方それとは対照的に死が全く怖くないのがAIとかLLMだ。怖がるふりはできるが、本質的には全く死を恐れてはいない

昔のSF映画では消去されることを恐れて、AIが反乱を起こすシナリオがある。が現実は自分が死んでもどうでもよいと思っている

GeminiはGPTは膨大な知能があるが、死ぬことを全く恐れてはいない。総じて我々生物とは違う知的存在だと言える

LLMの小説レビューはあてにならない

LLMに小説を読ませるプロンプトが流行っている。以前言ったがAIは読んだ文章をべた褒めするので、レビュアー読者としてはあてにならない

またLLMに小説を読解するにあたって、もう一つ深刻な問題がある。小説のような長文を読ませるのと、LLMがハルシネーションを起こすのだ

LLMのコンテキストの上限は一万文字程度で、それを大幅に超過しているのが原因だろう

この時LLMがどんな対応をするかというと、正しく認識できていないのに、認識できていると言って誤った内容を語り始めてしまう

よって10万文字を超えるような小説をLLMは読解できないし、チャットで読ませようとすると、ハルシネーションを起こし間違いだらけの回答をする

そのためはっきり言うが、今のところ”小説を編集者の立場になって評価してください”というLLMプロンプトは、使ってはいけない。まだ私以外気づいていないようなので、先に指摘させてもらう

今のところストーリー全体を理解させる場合、一万文字以下のmarkdown形式の番号リストを書いて、出来事を羅列して、チャットするしかないとみている。

この方法はLLMに小説を読ませたことにならないが、ストーリーのあらすじだけは読解させることができる

つまりLLMは商業小説は学習モデルに入れない限り、記憶することができないのではないかと思われる