2005年12月
初めてアルバイトしたのは22歳のころ
そのころはまだ若くて、社会復帰への危機意識があり、
バイトから社会復帰のトレーニングを積んで、ゆくゆくは正社員にステップアップしていこうと思っていた
近くのコンビニのアルバイト募集の張り紙を見て、勇気を振り絞って面接を受けたいと電話した
出てきたのは元DQNと思われる若いヤンキー系の店長
オーナーは老婆で、それの雇われ店長をしているらしい。
空白期間は、日雇いのアルバイトをしていたといい、
将来はコールセンター系の業務に尽きたいですと答えた。
その場で働いてみろと採用された
そのときの僕はまったくダメで、メモを取らない。
「お前メモぐらいとれふざけてんのか?」
社会経験の短い僕は店長の老婆に不遜なため愚痴を聞いてしまう
「おい何生意気な口利いてんだぶっとばすぞ」といわれた
最初は陳列棚の清掃だったが、品だしと運搬が何度聞いてもできない
「俺はちゃんと努力してるやつは最後まで面倒見るけど、お前みたいな使えないやつは初めてだよ」
冷蔵庫のアイス陳列棚を指差して
「ここをきれいにしとけよ。でもこの機械の周りを拭いたらぶっ飛ばすからな」といわれる
言われたことがよくわからなくて、二度目の質問を何度かやってしまい
「二度同じことをきくな。一度で覚えろ」
また陳列作業のことがよくわからなくて、いろいろ確認しようとおもったら、
「ハア?なに言ってんだお前」といわれる
ヤンキー店長がとにかく怖くて、僕より若い学生のアルバイト店員に少し助けてもらう
ほかの店員も学生なのにおとなしく親切で、少し救われた
学生なのに丁寧すぎるなと思ったが、後にして思えば従業員としては当たり前の態度だったなと思う
普通ヤンキー系の上司は怖いから、ビクビクしながら働くものなのだ。
その後2時間ほど働いて、
「つうかお前本当に大丈夫かよ。」
「大丈夫です」
「いやぜんぜんできてないじゃん」
「・・・」
「普通はもっと遅くまで働いてもらうんだけど、お前が使えないから仕事頼めない。お前ぐらいできないやつは初めてだよ。今日はもう帰っていいよ」
屈辱的だったが、恐怖から開放されて、逃げるように家に帰った。
その夜も緊張を伴う恐怖心は続いて、胃の痛みから眠ることができなかった
次の日完全に怖くなって逃げ出したくなった僕は、そのコンビニ電話
母親に電話してあげようとか言われるが、さすがに勇気を振り絞って自分で「やめたいんですけど」とつたえる
すると無言で電話を切られた。初めてのアルバイト経験は一日で終わった
そのときのヤンキー店長のため息と、無言で受話器を置くガチャンという音が、耳にこびりついて、いまだに忘れられない
普通であれば最低限の挨拶として「そうですか、お疲れ様でした」と一言いって、電話を切る。
それすらないということは、僕は本当に使えないやつだったんだろうなと思う
その後そのアルバイト経験がトラウマになって、働くことが怖くなった僕は、8年後の30歳まで一切働くことはなかった
反省することはいくつもある。
僕自身世の中をなめてたクソニートで、アルバイトは適当で大丈夫だと思い込んでいた
実際はそんなことはなくて、態度も仕事もかなり厳しいものを要求される
僕より若い店員たちはそのことを知っていたから、おとなしくしていたわけだ。無知なのは僕のほうだった
最低自給のアルバイトだから、適当でいい、楽だということは一切ない
クソニートままで勤まるアルバイトはないということを学んだ
今世の中のことを学んで改めて振り返ってみると、
たった二時間でニート一人の人生を破滅させて、ヤンキー店長は誇らしいだろうなと思う。
人間には支配欲があり、他人の人生をめちゃくちゃにしたことを誇らしいと思う本能がある。
特にオス力を誇示する人間にとって、人を脅し萎縮させることは、自信につながるのだ
「このまえさニートがバイトきたんだけど、まじつかえねーの。」
「いいわけばっかして超やくたたねー
それで、一日でやめたいんですけど~。いってきて。俺もクソ忙しいから切れて電話きった」
と楽しそうに語っていることだろう