アンケートをとると、金が首位になる。

人よって大切なものはさまざまである
年齢が若ければ、夢とか恋人、やりがい、情熱、抽象的でメンタル的な要素が上位に来る。
年齢が高くなると、親縁、金や土地や仕事など具体的な項目を挙げる

しかしこれらの要素は票が分散してしまうため、首位にはなれない
夢とか恋人とかやりがいといった項目は、人よって指しているものが違うのだ。
たとえば自分、恋人、家族の場合、対象の人物が変わるので、票が分散してしまう。

一方金、通貨というは普遍的で、万人に共通のものである。
アンケートをとれば、金や財産は総じて3.4番程度になるだろう。
しかし万人に共通のものとなるため、得票は首位にくりあがる
どの通貨でほしいのかで票は分かれるかもしれないが

みな金のために働いてきた

さかのぼれば、いつの時代も、みんな金のために働いてきた
食べ物を得る、それだけのために先祖たちは働いていた
だから働く理由は、金のためが一番普遍的で正しい
やりがいとか生きがいとか、そんなものごく一部しかない
我々凡人たちは、嫌々働いてしぶしぶ生きている。
夢は労働の苦しみから解放されること。たったそれだけ

世の中金を中心に回っているという事実

人間の社会は金を中心に回っている
テレビや新聞に写る人間たちをみよ。
とてつもない金持ちばかりだ
そんな金持ちどもが、お金より大事なものがあるという
それだけもっていて、説得力があるか?

すでに腐るほど金をもっているから、いらないのだ。
満腹の人間が、食べ物がいらない、というのと同じだ
彼らは口で偽善をいっても、税金対策を重ね、自分だけ蓄財したい

誰がなんと言うと、今までこの世は金で回ってきたし、これからも金で回るだろう
100の言葉より、この現実が何より証拠である
金こそ、この世でもっとも重要なものなのだ
金のために必死で働き、会社にしがみつくのは、何もかも、正しいことだ

普遍的に大事なものは

普遍的に一番大事なものは、自分>太陽>金の順番である
どこの誰が死のうが、世界には腐るほど人間がいて、代わりの人間がいる
どれだけの偉大な人物であろうと、ほかの人間が台頭するだけだ。
しかし自分はたった一人しかなく、人生もひとつしかない

太陽こそ偉大な存在で、太陽が死ねば、地球上の生物はまとめて死ぬ
自分があがめるものはたった一つ太陽だけでいい
地上では一握りの人間達がカーストの頂点にたって、我々の社会に君臨している
しかし太陽ほど偉大な人間がいるか?そんな人間たちをあがめて、へりくだることに何の益があるか?
むしろ人を足蹴にして、太陽の威光をかすめとらんとする、愚か者ではないか。

金のために人間が死んでいる現実

たとえばふれあい、やりがい、生きがい、そんな曖昧な理由で人が死ぬだろうか?
一方金のためであれば、殺す人間、殺される人間がいる
その重みを考えれば、金がどれだけ大事かわかるであろう

大事なものはなくなったときわかる

大事なものはなくなったとき、初めてわかるという言葉がある。
その理屈でいえば、金はもっとも重要だろう。

友達がいないとかやりがいがないのであれば、メンタルが弱くなる程度で済む
しかし金がないとなると、生きるために必要な衣、食、住に事欠くことになる

現代ではある程度援助が受けられる
しかし凍えずにすむ住居はなく、プライバシーは望めない
病気や怪我があったとき、金がないというのは、一番胃が痛くなる深刻な問題となる
そして人が自殺する理由も、つまるところ金や病気によるものがほとんどだ。
金というのは血液のように、なくなると即死ぬほど重要なものなのだ

現代社会ではある程度の援助が受けられるが、この国でさえ
金がないことで飢え、口減らしに子供が売られる時代があった。
時代をさかのぼると、金がないというのは、死に直結したのだ

金は万病の薬といわれるが、実際に医療が発展するほど、金で直せる病気は増えている

この世でたったひとつ金では買えないもの

この世にたった一つだけ金で買えないものがある
愛、心、幸せ、絆、やさしさ、命。
あえていうが、すべて金で買えるものだ

金の切れ目が縁の切れ目という格言がある
逆に金さえあれば、人間にとって大切な絆が切れることはないのだ。

しかしこの世に唯一金で買えないものがある。
それは若さである。
現代医療では、いくら金をつもうとかなわない。
金持ちどもの憂鬱は唯一、若さが買えないことだけだ。
いくら富を集めても、いくら立派な墓を立てても、醜く年老いて死ぬ
終わりの日には、何ももっていくことはできず、名誉も自分に従ってはくれない
人の子は金持ちも貧乏人も、平等に跡形もなく死に絶えるのだ

神の子はいわれた。大事なものは心であると

神の子はいわれた。
一番大事な物は、心であると。
永遠の命につながるもののために働け、そして永遠の命は、人の子がその見返りとして渡すだろうと。
イエスのいうことはある程度真実で、イエスは死んだが、
彼は歴史的偉人として、語り継がれ、空想の命を持ち続ける人間である

一方人の子が欲するものは金と保身、偽善的な馴れ合い。
それでいくら富を集め、羨望を浴び、幸せになろうと、永遠の命は手に入らなのであろう。
カーストの頂点、幸せの絶頂にいる人間達が社会に君臨しているが、そういう人間を語り継ぎたいと思うだろうか?
幸せは語るにあたらない。人が親しみ後に伝えるものは、いつの世も苦しみなのだ

我々は、当たり前の日々に、ふと義とか永遠のような崇高なものを渇望するときがある。
それがほしければ、永遠の命を求める、神の子の生き方しなければならない。
それは人の子にとって一番大事な金をすて、心を求める生き方をするということだ。
真心とか、やさしさとか、言うのはたやすいが、実際には試練と忍耐しかない人生になるだろう

そんな人生の果てにたどり着くものは何だろう。その答えは我々は知っている
イエスは最愛の弟子たちに見放され、無一文で刑殺されたのだ。
それは人の子が思い描く、理想の人生とは真逆だろう
しかしそれこそが、永遠の命につながる、神の子の生き方なのだ

よくよく言っておく。人の子は身を粉にして富を求めよ。
お前たちの短い人生にとって、一番大事なものは、金である
我々人の子は、魂のない泥人形であって、心など最初から無い
そして決して永遠の命を欲してはならない。神の子の道を歩くことになるぞ