聖書はどれも冗長でややこしい内容で、普通に読むのはきつい。唯一ヤコブの手紙は、聖書の中では唯一見事な詩になっている。著者は義人のヤコブと呼ばれる、初期のキリスト教の指導者的人物だと目されている。しかし近代的な検知では疑問視されており、筆者はいまだ不明だそうだ。
以下の内容はヤコブの手紙の内容を、やや改変したものであって、正確ではない
忍耐の教え
試練にあったとき、むしろ喜ばしいことだと思いなさい
信仰が試される事によって、忍耐が生み出される試錬を耐え忍ぶ人は幸いである。
神を愛する者たちに約束された、命の冠を受けるであろう兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。
農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍ぶ。
二心の者
疑う人は、風の吹くままに揺れ動く、海の波に似ている。
それは二心の者であって、そのすべての行動に安定が無い
その者は、主から授けられると思ってはならない。
富は草花のように過ぎ去る
隆盛は、草花のように過ぎ去る
たとえば太陽が上って熱風を贈ると、草を枯らす。
その花は落ち、その美しい姿は消えてしまう。
輝く富も、栄華を誇る者も、その一生の旅半ばで没落するであろう。
聞くに早く、語るに遅く
人は全て、聞くに早く、語るに遅くあるべきである。
そして怒りをあらわにするのは、最後でなくてはならない。
なぜなら人の怒りは、神の義を全うするものではない。
汚れや、甚だしい悪を捨て去り、心に芽生えた御言を、受け入れよ。
御言には、お前の魂を救う力がある。
行いの伴わない信仰のむなしいことを知りたいか
信心深い者だと自称しながら、舌を制する事をせず、
自分の心を欺いているならば、その人の信心は虚しいものである。
父なる神の御前に、清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、寡を見舞い、
自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つ事にほかならない。ああ、愚かな人よ。
行いを伴わない信仰の虚しい事を知りたいか。
信仰があると自称しても、行いがなかったら、誰を救えようか
魂なき体が死んでいるように、行いのない信仰は死んだも同然であるなすべき善を知りながら、行わないのは、罪にあたる。
分け隔てをしてはならない
信仰を守るため、分け隔てをしてはならない。
たとえばお前達の会堂に、富豪と乞食が入ってくる
そのとき、富豪には、恭しく「どうぞ、こちらの良い席にお掛け下さい」と言い、
乞食には、「そこに立っているか、私の足元に座っていろ」と言えば、
差別立てをし、良からぬ考えで人を裁くことになる
神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、
約束された御国の相続者とされたではないか。
しかるに、お前達は貧しい人を辱めたのである。お前達を虐げ、裁判所に引きずり込むのは、富む者たちではないか。
お前達に対して唱えられた尊い御名を汚すのは、彼らではないか。
人間は口を制御することができない。第三章
私たちは皆、多くの過ちを犯すものである。
言葉で過ちを犯したことが無い者は、完全な人間である
口だけでなく、全身おも制御できる者だ。馬は強いが、轡をはめれば、引きまわせる。
船は大きく、揺られるが、舵一つで制御できる
それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、大きな森を燃やすではないか。
舌は、我々の体の一部に過ぎない。
しかし全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らを業火に投げ込む。あらゆる生物はすべて人類によって支配されてきた。
しかし舌を制しうる者は、一人もいない。
それは制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。我々はこの舌で、主を賛美しながら、主を象った人間を呪っている。
見よ。称える賛美と、忌まわしい呪詛が、同じ場所から出てきている。
兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない
誘惑に誘われるな。神は誘惑することは無い
誘惑にあったとき、それを神が与えられたと思ってはならない
主は悪の誘惑に陥ることなく、自ら人を誘惑することも無い
人が誘惑に陥るのは、欲に引かれ、誘われるからである。
欲が孕んで罪を生み、罪が熟して死にいたる
争いと欲望
お前達の中の戦いや争いは、一体何処から起るのか。
肢体の中で相戦う欲情からではないか。
熱望するが、手に入らない。そこで争い戦う
貪るが得られない。そこで人殺しをする。
求めないから得られないのだ。
それでも得られないのは、欲望だからである
世を友とするな
不貞の輩よ。世を友とするのは、神を敵することだと、知らないか。
おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。
裕福な者たちへの警句
富める者たちよ、聞きなさい
お前達は終りの日を目前にしながら、なお蓄えている。
来る日には、黄金は錆びつき、着物は蝕まれる
その錆の毒はお前達を蝕み、罪を責め立て、食い尽くす見よ、お前達が農夫たちに刈入れをさせながら、支払わずにいる賃銀が叫んでいる。
その者たちの叫び声が、すでに万軍の主の耳に達している。
お前達は、地上で驕り暮し、快楽に耽り、
葬られる日のために、己が心を肥やしている。