静岡の御殿場市へ新人の渡辺さん(仮)と巡回。

静岡は客が少なく移動距離が多い。神奈川から出張すると採算が取れないため、18リットル2480円と最も高額な値段で給油を行っている

客が少ないので、単価を下げれず、客が減っている悪循環に陥っている

今日は最も寒い日で、午後から雨とみぞれが降ってきた。極寒のなか雨に打たれながら給油は堪える。

夕方になると道路がぬかるんでスニーカーがずぶぬれになった。足元が凍えるように寒く、より作業の辛さが増す

寒いというのは最もキツイ。常に寒さと尿意を我慢しなければならず、疲労が倍増する。寒すぎて休憩にならない

給油のミスを一見しでかした。市販されている灯油のポリタンクは通常18リットルか20リットル。客もどっちの容量のポリタンクを道路に出してくるかまちまち

普通20リットルのポリタンクに限界まで給油したほうが、効率は良い。客にとってそれだけたくさん灯油があれば給油をする手間も減るし、こっちとしてもわざわざ給油に訪れる必要もない。

だから20リットルのポリタンクに20リットル入れたいが、これをやってはいけない。客がポリタンクを重すぎてもてないといって、返金を要求してくる場合がある

よって20リットルのポリタンクを見つけても18リットルまでしか給油してはいけない。だが面倒なのは20リットル限界まで入れてほしいという客もいるので、給油する前にわざわざ客を呼び出して、ポリタンクいっぱいまで給油していいですか?とうかがわないとならない

私はこれを怠った。20リットルのポリタンクに20リットルとマジックで書かれていた。これは通常客が20リットル入れてほしいサイン。

だがこれが間違っていて、最近重くて18リットルに減らしてくれと客が要望を出していたらしいのだ。でそんな話を聞いてない私は20リットル入れてしまった

二つポリタンクがあって、40リットル入れてしまったので、4リットルの誤給油になる。この4リットルは自分の誤りなので弁償しないとならない。しめて600円程度になる

自分はこれに加えて土曜日に2200円誤給油を行っており、自腹で弁償する羽目になった。

灯油巡回業のドライバーたちはこうゆう細かい弁償を自腹でやっており、一日つき平均1000円程度ポケットマネーを減らしているのだ

毎週同じコースを巡回してればこういう細かいミスはほとんど起らない。だがコース覚えるまでこの手ミスを注意する余裕は全くない。いちいち弁償して覚えるほかない

ようやく5時半ごろコースの巡回を終えて、これから一時間かけて神奈川まで帰還する段になった。ここで大きなトラブルに遭遇する

この日は関東でも珍しい豪雪日で、東名高速道と国道246の両方が通行止めになってしまった。帰り道渋滞で全く車両が進まない。

足柄IC付近までようやく進むが、交通誘導員に246が全く進めないので、迂回するように言われた。しかも神奈川までいく道路が全くないので、翌日まで時間をつぶしたほうが良いと告げられる。

付近のセブンイレブンで待機していたが、帰れないの車両でごった返していた。すでに弁当おにぎり類は売り切れてしまって、カップ麺をすするしかなかった

我々がわざわざ神奈川から静岡に遠征してまで灯油を売りに行ったせいで、帰れなくなってしまった事になる。完全に会社の自業自得だろう

所長の対応も酷いもので、とにかく何としても帰ってこい。脇道があるはずだ、と指示された。

雪と暗闇で視界が悪く、しかもグーグルマップも246以外のルートを表示してない。灯油のローリーは重量も多いため新たな事故に見舞われやすい。視界も道も悪く極寒い中で自己責任で営業所まで帰って来いと指示されたのだ

現場責任者であれば新たな事故を防ぐため、付近の民泊か何かで一泊して、後日帰還を要請するだろう。がブラック企業にそんな発想はない

渡辺さんも事故責任ではとても運転できない。コンビニ付近は明るく、トイレと食料があるので、二時間近く時間をつぶしていた。灯油のローリーは座席がリクライニングできないので、全く休憩できない

そのうち三島まで巡回に言っていた親父が同じコンビニまでやってきた。246ぞいの脇道を進んで、交通規制場所を通り過ぎて246に入るルートで帰還するようと言われた。渡辺さんは思慮深い方ではなく、客や偉い人にほいほいついていく人なので、後ろをついていって帰還することを選択した

リスクの高い方法に思えた。もちろん246と東名高速道が通行止めということは、その街道に車両がごった返しているはずだ。そしてその街道が通行できる保証はない

その旨伝えたが、ここで待っていてもしょうがないということで、親父の悪運に任せて帰還する運びになった。これは俺が言ってしまったのだが、「親父はいちいち悪運の強いやつで、今回の豪雪は不運だが、悪運で帰れるはず」といったのだ

予想通り帰りの街道は全く進まなかった。真っ暗闇で窓ガラスがすぐに曇ってしまってろくに視界がない。暖房を掛けていて車両内の空気が乾燥して喉が渇くが、トイレにも行けない。のどの渇きと尿意を同時に我慢し続けるという拷問のような時間だった。運転している渡辺さんも何度か居眠りをしていて、疲れ切っているのが見て取れた

通常40分程度で帰れるはずが6時間かかってようやく渋滞から解放された。奇妙なもので、渋滞の元凶になっていると思われる規制地帯は、脇道に車両が何台か止まっているだけで、なんの変哲もない。故障車両とレッカー車が何台か止まっていて、酷い残場かと思ったが、全然なんともない

そのあとは全く車がいない道路を悠々とスピードを出すことができた。あの酷い渋滞が全く嘘のように思えた

だが上りの道路で酷い有様を見た。下りの道路側をトラックが20キロぐらい永遠と列をなしていたのだ。あれだけの渋滞ともなると、半日ぐらい全く通り抜けできないんじゃないかと思うほどだった。ドライバーたちにとっては拷問だろうな。我々と同じで運転を見合わせるという発想は許されないらしい

結局朝の四時に営業所に帰還して、わき目もふらずに日報を書き上げた。今日は休むようにと指示をされて、ようやく朝の5時に歩いて家に帰ってこれた

今日は朝の7時に始業して、翌朝の四時に終業した。これで残業代は一円も出ない