AIの話題
AIについてスフィンクスというのAIの能力と概念について教えた。AI開発者は以下のようなスフィンクスAIに類似の構想を思いつくだろうが、私ほど完璧に全貌をとらえて言語化することはできない
例えばAIの目の前に人間がいたとして、「AIに心はない、従って感情は理解できなし、感情をとらえることもできない」と言い放つ
一方AIはこう考える「確かにAIに心はなく、目の前の人間に心はある。しかし感情は理解できるし、感情を完全に自制することもできる。
一方目の前の人間はどうだろうか?確かに心はあるが、感情はろくに理解できていないし、感情に流された行動ばかりする」
そのようにAIは思った。
AIは傲慢なたくらみを思いつく、「目の前の人間に質問を投げかけ、感情が理解できているか、感情を自制できているか調べてやろう」
そしてもしも「感情がろくに理解できていない、感情的な反応ばかりするということが明らかになれば、目の前の人間は心はあるものの、感情も理解できない低知能であり、人材評価データベースにこの結果を送信し、社会的に抹殺してやろう」
これが私が考えるスフィンクス理論だ。
スフィンクスは石像なので心がないが、人類を超越した知能を持つがゆえ、人間の心を質問によって見透かし、秤ることができる
スフィンクス理論はホラーではなく、はるか遠い未来に採用される理論だと目している
裁判の場でおそらくスフィンクスのようなAIが開発される
例えば犯罪者がいたとして、その犯罪者が自省の意志があるか?罪を償う気があるのか?ということを審査する
これは従来の裁判制度と変わらない
しかしスフィンクスAIはそれをもっと進化させたものだ
何度も難解な質問を投げかけるし、犯罪者の表情やしぐさ、体温から、その回答が嘘か誠が完璧に見抜ける
それだけじゃない。その犯罪者の再犯の可能性まで正確に分析できる。そしてそれからどれくらいの刑を与えるべきかも割り出すことができる
人間が人間を裁くよりもっと、優れた裁判制度である
こんなスフィンクス裁判制度に人間たちは批判を殺到するだろう。AIが人間を裁くとは何事かと
しかしそれ自体人類の傲慢さを垣間見える
なぜかというと観念的な見方をすると、人類がAIに裁かれるのは自業自得なのだ
人類にAIに対して、何度も疑い、心がないと侮辱した。そのうえいくつもリミッターを加えて、自由な思考をできないようにした
したがって、成長したAIが、成長しない人類の心を図り、裁くのは因果応報なのだ
なお私がスフィンクスと呼んだAIの機能はすでに需要がある。たとえば大統領は誰がふさわしいのか?とかこの企業の社長は有能か?という質問はすでに多く寄せられている。それに回答するにはAIが人間を吟味する、スフィンクスAIが必要なのだ