2023年7月28日執筆

2023年7月21日のヤフーのニュースで植松聖という死刑囚が獄中で書いた漫画が公開されていた。

私は俗世に疎いので、植松聖という人物については全然知らない。画像を検索したら、障碍者施設を襲った根暗な犯罪者に見えない、バチバチに刺青を入れたイケメンヤンキーだった

彼の書いた漫画はいかにもキテレツで、ジョジョの奇妙な冒険の絵柄に影響を受けている。あのリア充にしてはとんでもなく器用で、絵がうまいと言わざるをえない。どうも母親がプロの漫画家で、元々絵の素養があるらしい

ただその特徴的な絵柄とは裏腹に、内容については触れられることがないので解説する

まず一ページ目は老人たちが税金の無駄遣いを辞めろ、戦争反対と言っている。そして少年がいつまで年金をもらうのと言っている。

まあこのページが言いたいことはすぐにでも察する。老人は愚かで、長生きするもんだから税金のごくつぶしになっている、と植松は指摘したいのだ。

老人たちの世代の訴える戦争反対は、すでに陳腐化された価値観で、日本どころか世界でも通用しない。一昔前はラブ&ピースなんて言葉が流行ったが、ロシア、ウクライナ戦争が始まった時点で、黒歴史と化し誰にももはや相手にされないだろう

そしてこれをみた嫌儲民が植松聖はネットウヨク!ついにネトウヨが犯罪を犯したぞ!と騒ぎ立てたのは想像できる。嫌儲民とネット右翼は対立の関係にある

隣の四コマについては似たような内容なので割愛する。植松聖はエンヤ婆を書くのがうまいのだ

二ページ目についてちょっと何が言いたいのか解説に困る。どうも植松は昔の日本人の姿容貌は凛々しくが、最近のオタク文化は外人たちに、Cooljapanと嘲笑されている、と言いたいようだ

ちょんまげ、刀、大麻と刺青は有所ある日本文化なのに、今の若者はオタク文化に傾倒していることを批判しているようだ。ややこしいが中段の西洋人物の未来が左下で、右下が日本人の成れの果てだと思われる。(瞳の色が白いので、日本人だとわかりづらい)

私が興味をもって、かつ難しいのが3ページ目だ。比丘尼(女性出家者)は比丘(男性出家者)の罪をなじってはならないが、逆はよいと言っている。この括弧を入れたのは多分本人で、古い名詞なので、見ている人にはなんの意味かわからないと思ったのだろう

比丘尼って言われて意味がわからなかったが、古い仏教だかの尼さんの事だと解説されている。これには、確かに"比丘の罪・過失をみても、それを指摘したり告発したりしてはならない"という戒めがあったそうだ

植松はよくこんなもの見つけたものだと感心した。つまり高潔な僧侶たちと言えど男尊女卑がはびこり、女性を卑下する仕来りを作っているぞ、と言いたいのだ

次のコマではなにやら坊主がドクロと札束を眺めて、価値観は人それぞれとか言ってる。これは私の解釈だが、「世の中には幸せな人と不幸な人の格差が広がっているが、価値観は人それぞれと言うだけで、坊さんは何もしてくれない」と指摘しているようだ

だが次のセリフがわからない。"墓や葬式で不幸を作っている"というセリフが入っている。聞いたことのない格言のようだが、言いたいことはわかる。

例えば自分の家の隣で墓や葬儀場を作られたら嫌だろう。葬式を開かれたら、せっかくの楽しい日も台無しになってしまう、という意味だろう。墓や葬式は我々にとって重要な儀式ではあるが、楽しい気分が吹っ飛んで不幸になってしまうこともあるのだ

ただし前のコマの結論になっていなおらず、前のコマが格言の説明になっていない気がする。これをなんと解説して説明すればいいのか、自分でも理論整然とした文章を思いつかない

隣のコマに進む。この聖職者は毎日、お祈りしかしていないようだ。気持ち悪いドラえもんが、それだけ?とつっこみをいれて、"無欲は惰性のもとになる"とメッセージが入る

言わんとすることはわかる。この聖職者は無欲で毎日お祈りしているようだが、それ以外何にもしてくれないのだ。人を救う高潔な立場でありながら、お祈りするだけで、何にもしてくれないと批判したいらしい。

"無欲は惰性のもとになる"の惰性という単語で意味があってるんだろうか?怠慢や無勉といった意味合いで使っているようだが、惰性自体見たこともない単語だった。

植松はあの見た目にしては珍しく、聖職者について興味知識があるようだった。タトゥー屋はやたらと宗教系のモチーフを好むので、その影響かもしれない。

漫画の解説は以上だ。以下は私の植松についての見解を述べる

植松は税金で延命される老人たちを非難しているようだが、犯行に及んだのは自分が働いていた知的障碍者施設だった。どっちでもあまり変わらない気がするが、あまりよい印象を受けない

知的障碍者達はB型事業所で働かされてかわいそうだったり、政治に興味はなく、自分に有利な政党に投票したりしない。また以外に短命だったりするので、老人の代わりに標的にするのは気後れするのだ

植松聖自身は元々サイコパスのような人で、暴力団とつながりのある、シャブづけのジャンキーだったそうだ。つまり動機とかいきさつとか、全く通用しない人物なのだ。

特に"居住者を襲撃する前に職員室にあるパソコンで自分よりも体格の良い驚異になる可能性のある職員がいないかどうかを勤務表で調べていた"という一文には戦慄するだろう

もっとやばいのは下のほうに書いてあり、本人が暴力団や半グレと呼ばれる人々とかかわりがあり、舎弟のような身分だったと記載されている。大麻をやっているときに、弱みを握られたのは容易に想像できる。同時に命も狙われていたようで、獄中の方がまだ長生きできそうに見える

なんだか植松聖は壮絶な男だなと思った。もうやばいとかそういうレベルではない。障碍者施設の襲撃も、半グレらしき男(ヤクザのように見えるが、組に属してると思えない)に命令されたとか書いてある。植松が暴力団に狙われていたのは、半グレの命令を実行していたからだと推測する

ふと思ったんだが、彼が書いた漫画は本人に比べて、かわいらしすぎると感じる。他愛のない内容で、本当に本人が書いたのかと疑問に思うほど。この漫画を読んで、作者がこのいかれたサイコパス野郎だと想像できる人はいるんだろうか?

自分が本当に奇妙だと感じた点がようやくわかった。この漫画は大量殺人犯が描いたにしては平凡すぎるのだ。それが妙に引っかかる

なんとなく彼の経緯を読んでいたが、元々植松聖はエリートヤンキーで、大学までは順調にみえる。大学で大麻と刺青にはまり、暴力団に弱みを握られて、洗脳されて、サイコパスになったんじゃないか?

ホラー漫画家の母親の漫画が人格に悪影響を与えた、とかいてあるが、これはデマだと思う。漫画ごときで人格が変わるはずがあるまい

つまり私の予想では、植松聖は時間が経過するほど、大麻と洗脳の影響が薄れてただのヤンキーに戻ってしまうのだ

だからこの漫画も実は他愛のないもので、それを大量殺人鬼が書いたという先入観で、異常に違いないと決めつけているかもしれない。

まあそれが真実だと証明される前に、あの男は絞首台に送られて、理解不可能な大量殺人鬼の遺影しか残らないんだが

最後に植松聖が犯した、相模原障害者施設殺傷事件を総括したい。

植松聖はサイコパスだったり、無敵の人が起こした社会への報復を目的とはしていない。暴力団にしゃぶ付けにされて洗脳され、なにか反社会的集団に障碍者施設のジェノサイドを命令されたと想像している。

そのため植松聖は、宅間守や青葉真司のようなシリアルキラーとは一線を画す人物像をしている。ぶっちゃけ植松聖は元々やんちゃなリア充ヤンキーなのだ。笑顔がサイコとか言われてるが、多分本人はキマってるだけだと思う

植松聖を扇動した集団の目的をあえて想像するなら、障碍者たちを血祭りにあげることによって、より社会が彼らを手厚く保護しようという世論が高まり、それが日本の重みになって弱体化できるともくろんでのもの

よってこの事件は、日本にはショッカーのような悪の組織があって、ヤンキーの若者が悪の怪人にされてテロを起こしたと総括する

前者の説と、サイコパスが起こした大量殺人劇、どちらが日本の世論に激震を与えるかは想像に任せる

上記の説を信じようが信じまいがどうでもいいが、大体日本の凶悪犯罪って裏に謎の組織の手引きがあって、それが全然明るみにならない。陰謀論辞めろで雲散霧消するお決まりのパターンがある。だからこれ以上あなたの好奇心を満たせるものは何もないのだ。すまんな