そこそこ小説のやばさ

アメリカではAIの開発で多額の資金が流入している
そのおかげで世の中にいろんなAIサービスが出現している
でカクヨムみたいなwebサービスはどうなったかというと何もない
いつも通り平凡にランキングが稼働しているだけだ

ただし一つだけ変化がある。
”AIがそこそこの小説をかけるようになった”
これがとんでもなくやばい

AI小説は良作ってほどでもなく、文章がしっかりしているだけの凡作
既存の人気作もちゃんと把握してるので、設定にオリジナリティもそこそこある。
決してパクリとかテンプレ通りとか、そんな幼稚な小説ってわけでもない

これを大量に投稿されると、人間が書いた小説と見分けがつかなくなる
AIと人間ともAIが書いた小説だとはやすやすと見抜けない
これのせいで、人間が一生懸命書いた小説が、見分けがつかなくなり埋没する

読者としてもそこその小説が大量にあって、何がとびぬけて面白い小説か見抜けなくなる
結果ランキング依存が大きくなり、選評眼がどんどん衰えていく

プロの方であればAI小説より一回りクオリティの高い小説を書ける
だがそれだけだ。
人間とAIとも、プロの書いた小説とAIが書いた小説をやすやすと見抜けない
結果、プロの小説じゃなくてもいいんじゃね?といわれる

このそこそこの小説のやばさは、web小説サービスの運営継続にすら及ぶ
どこでもそこそこの小説が読めるので、web小説サービスを利用する必要もない
カクヨムや小説家になろうは、ものすごい価値のある小説の宝庫である
ただしそこそこの小説を大量に投下されると、貯蔵している小説の平均レベルもそこそこになる
またAIの向上により、そこそこの小説のレベルもどんどん上がっていく
つまりカクヨムや小説家になろうは、宝の山ではなく、そこそこの小説しかないゴミ山になる運命なのだ

一方クリエイターにとってAIのそこそこ小説ってどんな評価なのか?
そこそこ使える。
映像スタジオにとってよくできた原作小説なんていらない
小説ではなく映像プロットやシナリオが欲しいのだ
プロットやシナリオ制作において、AIのそこそこライティングは重宝するのだ
結果プロの小説家の方の活躍の場がどんどん奪われていく
断っておくが、小説の人気だけはめちゃくちゃほしいので、有名な原作小説家だけは安泰だろう

つまり長々と書いたが、この”AIが書いたそこそこ小説”ごときで、創作界隈が崩壊するのだ
人間は目に見えないものは見えない生き物だといわれている
つまり、このそこそこ小説がどれほど強敵か、見ることができないから、実感できない

太古の暗闇の世界を思い起こしてほしい。
夜の暗闇の世界で視界がないのに、昔の人々は、世界が危険に満ちているか知っている
一方我々は日夜問わず、明るく照らされた世界にいるのに、それに気づいていない