暗殺者の鎮魂
今回の宿敵ダニエル・デ・ラ・ロチャは黒服組と呼ばれる、メキシコ麻薬カルテルの最大派閥のボス。無尽蔵の資金を持ち、警察を牛耳り、強大な武装勢力を動員する。
さらにデ・ラ・ロチャ自身も米国特殊部隊出身の武闘派の上、ジェントリーは足手まといのガンボア一家を守りながら戦わねばならない。
圧倒的不利とかそういう生易しい次元ではなく、ガンボア一家も唯一の仲間であるGOPES隊員二人も、奮闘むなしく次々と死んでいく。ジェントリー自身も最悪のシチュエーションで捕まり、拷問にかけられ、シリーズ随一陰惨な内容になっている。
しかしガンボア一家が無事にアメリカにたどりつき、守るものがなくなってから、ジェントリーの一転攻勢が始まる。たった一人で黒服組の要人や主要施設を神出鬼没に襲撃し、一日に千2百万ドル以上もの損害をもたらす。
ジェントリーがすごすぎるのもあるが、黒服組が兵力を総動員しているにも関わらずなすすべがない。ロシアギャングの親玉シドレンコは遠地にいるにもかかわらず、万ハンターをけしかけ、ジェントリーを追い詰めるが、それとは対照的である。
黒服組のブレイン、ラ・アラニャは次のように弁解している。「黒服組は軍、連邦警察、敵対するカルテルと有効に戦えるようにできているが、グレイマンのような機動力と技倆を備えた単独の敵に対する装備は不足している。」
黒服組は強大な組織だが、ジェントリーのような一匹狼は唯一弱点のようだ。事実今までのシリーズの敵とは対照的に、デラロチャの組織はグレイマンを全く見つけられず、守るべき拠点を絞り込めない。
結局ジェントリーのすさまじい破壊によって、黒服組はボコボコにされて終わる。彼のやることは毎回すさまじいが、同時にそれを行う動機も理解しがたい。ジェントリーは毎回、義理とか正義だけで、命がけの戦いに駆り立てられるのだ。本人もそれを理解できず、「悪魔自身ではなく神が自分を通じて物事をやっていると、信じたかった。」と最後のシーンで回想している。
このシリーズで毎回一番非現実的なのは、ジェントリーの正義の情熱である。たしかにジェントリーの動機は、「神に操られているんだよ」としか言いようがない。かといってウィトロックのようなサイコパス設定にされても困るので、これでいいんじゃないかと思う
知恵と努力を費やしても、思い通りにはならない。
デラロチャの拷問施設から脱出した後、諜報技術を駆使して、行方をくらます場面。
教会に寄ったあと、グレイマンはひとつも無駄のない動きをした。ベニト・フアレス国際空港へ車で向かった。到着の数分前に、さきほど買った携帯電話をフレガーに使わせて、空港の〈ハーツ〉のレンタカーをフレガーの名前で予約させた。フレガーの車を長期用駐車場に入れ、レンタカーを受け取って、空港のべつの場所へ行った。そこでタクシーに乗って市内に戻り、レフォルマ地区でソカロ行きの市バスに乗った。ジェントリーはうまく歩けないフレガーに手を貸して、広場の南の長い二ブロックを進み、番人のいないホテルの駐車場を見つけた。そこでフォード・マスタングのエンジンを、キイなしでかけた。
午前二時半、ジェントリーとフレガーはメキシコシティをあとにして、北東のパチュカに向かった。車で九十分かかった。盗んだ車はパチュカで乗り捨て、長距離バス・ターミナルの前にある公園のベンチで、ターミナルがあく午前六時まで待った。始発バスで、北のフアレスに向かった。フアレスの手前でバスをおりて、ティファナ行きの地方路線のバスに乗った。
「足跡を消すためだ。黒服組におれたちは見つけられない。やつらはあんたの車を探すだろうし、空港で見つける。飛行機に乗ったと思わせるためだと見抜くだろう。気が利いたやつなら、あんたがレンタカーを借りたのを突きとめる。やがて空港にレンタカーが残されているのを見つけ、やはり飛行機でメキシコから逃げたと思うかもしれない。しかし、頭のいいやつなら、タクシー会社も調べて、おれたちが撒としたのに気づくだろうな。そして、やつらがすこぶる優秀で、運がよければ、おれたちがタクシーをおりたところから何キロも離れた場所で、あのマスタングが盗まれていたことを調べあげるかもしれない。だが、まあそれはないだろう」
「やつらがそこまでたどり着いたとしても、パチュカでマスタングを見つけるには、FBI以上の情報網がなければならないし、たとえマスタングを見つけても、あそこのターミナルには監視カメラがなく、切符も現金で買ったから、ここまで追跡される可能性はまったくない」
フレガー「それでも、ティファナに向かっているというのは、想像がつくだろう?」
ジェントリーはうなずいた。「ああ、そうだな」わかりきっているという口調だった。「おれたちが着いたときには、ティファナのいたるところにいて、国境を監視し、おれたちを皆殺しにしようとしているだろうな」
ジェントリーは知恵と行動力を駆使して、絶対に追跡できないほど、複雑な逃走ルート駆使する。空港にレンタカーを乗り捨て、飛行機で逃げたと思わせられるものだった。しかしアメリカの国境沿いのティファナに向かっているのは相手も感づいており、結局幾重をくらますことができない。グレイマンシリーズではよくある展開で、伝説の殺し屋であるグレイマンが、知恵と努力を費やしても、思い通りにはならない。このシリーズはとにかくシビアである。