2019年12月1日。山梨の単身赴任から帰任後

派遣先の打診もなく、東京のオフィスで研修を受けていた

ある日、本社に来てくれという電話が営業から来る。営業先の打診だろうか、何かミスをやらかしたので呼び出しだろうか?わからない

本社の会議室に入ると、ずらっと社員が4名くらいすでにいた。その中で醜い顔をした偉い人が威圧的な態度で話を切り出した

「録音すんな。ばれてるぞ
「君派遣先の評判が悪すぎる。もう派遣できる場所はないですよ
「もうこの仕事諦めて退社してくれないですか?」というものだった

多分夢真のなかでも高官で、一番強面の人物だと思われる。会議室みたいなところで社員が集まっていたのは、退社を迫るプロセスのようなものだと思った。周りにいる社員は会話内容を記録して、不利な証言を残すためのものだろう

「あなた施工管理がやりたくてこの会社に入ったんじゃないの?」と言われるが、

情けないもので、「ここしかはいれるところがなかったから入社しました」というと呆れられた。

鬱病なので厳しいです、といったところ、じゃあ担当医と面談して休職の手続きをしてという流れになった、

定められた休職期間は二か月で、その後二か月後それでも体調が回復しないとのことで当然退職の運びになった。

私自身の勤務態度の辛辣な批判もあったが、業界自体がオリンピック需要がなくなれば、仕事が激減して紹介できないという事情も知らされた

建築は男の仕事で憧れていて、建築施工管理の筆記の資格もとった。しかし実際に現場にでると、私は物覚えが悪いうえにミス連発で、しかも勉強しようというやる気も足りなかった。建築どころか、現場に入れないほうが賢明で、派遣会社も速攻首にすべき人材だろう

私はバイトを始めたときも散々で、コンビニのレジ打ちどころか、品出しも碌にできず、清掃のバイトでも碌に使えない人だった。結局のところ、ニートが最もふさわしい職業で、働かないほうが世のためとすら思う。しかし働かざるもの食うべからずという名言があり、私のようなギリ健+社会不適合者でも、働く義務がある

長くなったが結局ニートが就職して働いても、だめだったという結果に終わった。失敗を反省してばねにして再チャレンジすべきだろうが、鬱がひどいうえ、仕事をしていると深刻なくらい痩せる(BMI17以下)ので再起不能な気もする

この時ちょうど母親の躁鬱が一番激しい状態で、深夜眠っていても母親が枕元に現れてたたき起こされていた。悪いことは重なるものである。結局一人暮らしを決意し、鬱病のままいろいろと準備に追われていた